読売新聞12月7日発行論点について

12月7日発行の読売新聞論点に、元北海道小樽聾学校校長森川佳秀氏が聾学校の言語教育について記述している。

聴覚障害を持った子供に言語を教えるためには、聴覚口話法(残存能力の活用と読唇)によるべきで、手話による教育は慎重にしてほしいというのが内容である。

40年前の新聞を見ているのかと錯覚してしまった。

こうした、「良識のある」ろう学校の先生によって、社会生活力を身につける大切な時期である、幼少時や学童時に、不十分な発声や読唇の練習で時間をつぶさ れ、学力が遅れたまま、学校の卒業年齢に達して、そのまま、一般社会に放り込まれ、社会についていけず、途方にくれている聴覚障害者を、氏はどのように 思っているのだろうか。

氏は、手話教育は、聴力障害者協会などによる権利運動から出ているという。それは間違いではない。

ただ、全日本ろうあ連盟などは、聴覚口話法を否定しているわけではなく、残存聴力を活用でき、読唇などの練習についていける聴覚障害の児童に対しては、なにも無理に手話で教えろとは言っておらず、その児童に合った方法で言葉を教えればよいと言っている。

補聴器を使っても残存聴力を活用できず、読唇の練習についていけない聴覚障害児童に対して、無理に、聴力による言語教育でなく、手話によって、きちんと人間としての理解能力を身に着けて、そのあと、英語を学ぶように、日本語を学べはいいのではないかということである。

氏は、文章の中ほどで、「手話を使わせないために、両手を縛って教育したこともある」と述べている。これは、あきらかに、児童虐待である。

児童虐待をしながら教育職にあった人の書くことについては、無視すればいいのではあるが、こうした内容を、論点に掲載する、読売新聞の感覚を疑う。

問題の文章には、聴覚障害を持った子供たちを、一人ひとりの人間として見る視点が全く欠如しており、なるほど、こうした感覚を持った人が、平気で、一人の人間の両手を縛るんだなと、変なところで、納得した。

ひさしぶりにめずらしい化石を見せてもらった。