聞こえないということ?
前回のコラムからだいぶたってしまいました。
幼少時に失聴した人は、聞こえる皆さんが「耳」から覚えた言葉をどのようにして習得するのでしょうか。
断っておきますが、私は、聴覚障害者の教育専門家ではありません。あくまでも実感としてのものです。
前回のコラムからだいぶたってしまいました。
幼少時に失聴した人は、聞こえる皆さんが「耳」から覚えた言葉をどのようにして習得するのでしょうか。
断っておきますが、私は、聴覚障害者の教育専門家ではありません。あくまでも実感としてのものです。
昨日11月25日、茗荷谷にある筑波大学東京キャンパスで、成年後見制度の学習会を開きました。
大変参考になる学習会でした。
成年後見制度というのは、認知症になった高齢者や精神障害者や知的障害者で、判断能力が欠けたり、衰えたりした人を支援する制度です。
当初は、本人の財産を本人に不利益が生じないように管理するという使われ方が大きかったのですが、最近は、本人の身辺監護など、生活支援全般に関わっていくという見方が増えています。
そうなると、社会福祉士や精神保健福祉士などの出番なんでしょうが、担当する内容が、法律行為中心なので、弁護士との連携もかかせないようです。
ということで、昨日は、弁護士の方と、社会福祉士会での成年後見制度に関わっている方をお呼びして、お話を伺いました。
大切なことは、制度そのものの理想と実情をどのようにあわせていくかということかなあと思いました。
聴覚障害者の場合、契約内容が判断できないでサインしたのか、文章(日本語)がわからなくてサインしたのか、などのところで、判断能力の有無が問われます。
また、裁判所は、聴覚障害者には手話通訳をつければいいんだろうとか、紙にかけばいいだろうとか、こうした見方が大勢を占めているのが現状でしょう。
こうした状況から、聴覚障害者を支援していくことができればいいなと。
当協会の存在価値は、こういうところにあるんじゃないかなと、そんなことを思いながら、お話を伺いました。
昨日、午前8時半から11時半まで防災訓練しました。
8時に地震発生→防災課より委員会に安否確認と移動支援の要請→災害対策本部設置→登録障害者への連絡開始→登録ボランティアへの連絡開始→障害者の居場所確認および状況確認→ボランティアが向かう→避難所へ移動
もちろん課題は多くありますが、最初の訓練にしてはスムーズに進みました。避難所として設定された公園には、区長、区議会議長、その他の関係者の方もかけつけてくれ、ねぎらいの言葉をいただきました。
考えさせられたのは、当日、避難する気分になれなくて、公園にこれなかった人がいたことです。
もちろん、実際の災害時に自宅で待機するほうがいいこともありますが、もし、どうしても避難しなくてはいけないときに、こうした気分になれなかったら、ま た、エレベータがとまったら、車椅子が壊れていたら、と、いろいろな状況に対応できるようにする必要があると感じました。
今日は、埼玉聴覚障害者情報センターというところに行きます。
ここは、情報提供施設といって、手話通訳者の派遣や聴覚障害者の相談事業などをしているところです。
相談事業を実施しているところにお邪魔して、いろいろなお話を伺う予定です。
今年もよろしくお願いします。
本日は、当協会の事務所を置かしてもらっている渋谷の東京聴覚障害者自立支援センターで事務所開きがあります。
野澤会長ともども、ご挨拶に伺います。
お正月の間は、ひさしぶりにテレビを見ることができました。
やはり、自然もの、ドキュメンタリーでは、NHK強いですね。あと、エジプトのピラミッドの秘密に迫るというのも、民放でしたが、いわゆる「あおり」物でなく、きちんと検証しているようで、興味深く見ていました。
やっぱり、字幕があるから、よくわかる。
ちょっとは、かしこくなった、お正月でした。
始まったばかりのブログにお付き合いいただいてありがとうございます。
年末に入り、働いている皆さん方は、このときこそと、大掃除や、旅行など、日ごろ出来ないことに集中されておられるでしょう。
そんなとき、ふと、頭に浮かびます。
この一年間、つきあっていただいた、一人暮らしの聴覚障害者は、年末年始をどうやって過ごすのかなあと。
グループホームというのか、もう少し広げて、コミュニティというのか、年末年始やゴールデンウィークなどのときに、テレビがわからない、新聞や本も読めない、こうした聞こえない人たちが自由に集まっておしゃべりできる、こんなところがあればいいなあと思いました。
東京だったらマンション程度の広さでしょうか。地方だったら一戸建て庭付きかなあ。
そこに来れば、暖かくて、だべれて、御餅食べれて、あやや、うちのお雑煮はそんな作り方しないよ談義に花咲いて、いつのまにか、マージャンやら将棋やらがはじまっている。
なんか、ファンタジーみたいですが、現実化したいなあ。
本年は色々とありがとうございました
良いお年をお迎えください。
来年こそは、成熟した社会に一歩近づけるようになればいいですね。
12月7日発行の読売新聞論点に、元北海道小樽聾学校校長森川佳秀氏が聾学校の言語教育について記述している。
聴覚障害を持った子供に言語を教えるためには、聴覚口話法(残存能力の活用と読唇)によるべきで、手話による教育は慎重にしてほしいというのが内容である。
40年前の新聞を見ているのかと錯覚してしまった。
こうした、「良識のある」ろう学校の先生によって、社会生活力を身につける大切な時期である、幼少時や学童時に、不十分な発声や読唇の練習で時間をつぶさ れ、学力が遅れたまま、学校の卒業年齢に達して、そのまま、一般社会に放り込まれ、社会についていけず、途方にくれている聴覚障害者を、氏はどのように 思っているのだろうか。
氏は、手話教育は、聴力障害者協会などによる権利運動から出ているという。それは間違いではない。
ただ、全日本ろうあ連盟などは、聴覚口話法を否定しているわけではなく、残存聴力を活用でき、読唇などの練習についていける聴覚障害の児童に対しては、なにも無理に手話で教えろとは言っておらず、その児童に合った方法で言葉を教えればよいと言っている。
補聴器を使っても残存聴力を活用できず、読唇の練習についていけない聴覚障害児童に対して、無理に、聴力による言語教育でなく、手話によって、きちんと人間としての理解能力を身に着けて、そのあと、英語を学ぶように、日本語を学べはいいのではないかということである。
氏は、文章の中ほどで、「手話を使わせないために、両手を縛って教育したこともある」と述べている。これは、あきらかに、児童虐待である。
児童虐待をしながら教育職にあった人の書くことについては、無視すればいいのではあるが、こうした内容を、論点に掲載する、読売新聞の感覚を疑う。
問題の文章には、聴覚障害を持った子供たちを、一人ひとりの人間として見る視点が全く欠如しており、なるほど、こうした感覚を持った人が、平気で、一人の人間の両手を縛るんだなと、変なところで、納得した。
ひさしぶりにめずらしい化石を見せてもらった。
日本聴覚障害ソーシャルワーカー協会
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